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ブレット・イーストン・エリス『レス・ザン・ゼロ』ASIN:4151200231

 わわわ。何か、とんでもないものを読んでしまった気分。この乾いた空気感と虚無感。現在も未来も信じられない社会の若者特有の持ち物。それって、今の日本のことじゃないの?


「いるものなんか、もうないじゃないか。何だって持ってるんだから」俺はそういってやる。

 リップは俺をにらむと「持ってないものがあるんだよ」という。

 間をおいておれがきいた。「じゃリップ、何がないっていうの?」

「俺には失うものが何にもないんだよ」(p.237〜238)

 80年代アメリカ。大学の冬休みでロスアンゼルスの故郷に帰ってきたクレイは、何不自由ない裕福な家庭で育っているが、両親は別居中だ。久しぶりに会った元ガールフレンドや友人たちと、毎日パーティをやったり車でお互いの家を行き来したりドラッグできめたり映画を見たりセックスをしたりして過ごす。何もかもが投げやりで退廃的だ。

 始終つるんでいるが誰一人お互いと係わり合いになろうとしない。そんな中でヤク中でどうやら大きな借金を抱えているらしいジュリアンに再会する。

 ここまで徹底していると、腹立たしいよりもむしろ哀れになってくる。大きなプールつきの家に住む彼らは未来なんて信じていない。だから、今しか楽しんでなくてドラッグ漬けになり誰彼構わず性的な交渉を持ち、非合法なことにも「ごっこ」で手を染めてみたりするのだ。無責任に投げやりにそれらを泳ぐようにする彼らは時に失敗することもあるが、大概のことならば両親がどうにかもみ消してくれるのだろう。

 こんな風になってしまったのは誰のせいか?いや、誰のせいでも無いし、みんなのせいでもあるのだ。この本を夢中になって読んだ人というのはもしかしたらそう感じているのではないか。

 ジュリアンの状態を段々と知り、とうとう首を突っ込まなければならないところまで追い込まれるクレイは、元恋人がいまだに未練を残しているというクレイは、果たしてそれらにどのような答えを突きつけるのだろうか。最後の数十ページは、とにかく緊張しっぱなしだった。

 元の文体がおそらくそうなのだろうけれど、ひどく素っ気無い、短い文章が続く。例外は、時折挿入される数年前の回想シーンやその、緊張感を高める最後の一歩手前まで。そこではわずかにクレイの心が揺れているのが感じられるのだ。

 必読ではないけど、読んでてもいいんじゃないかな、と思えた一冊。決して読後感は良くないので、そういうのが嫌いな人は最初っから止めておいたほうがいい。