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舞城王太郎『暗闇の中で子供』(ISBN:4061822063)

 『煙か土か食い物』の、時系列でいえば後日談。奈津川家四兄弟の昼行灯的存在の三郎がここでは主人公。先の事件を真似た猟奇殺人事件がこの西暁町でまた起きている。果たして、この犯人の目的は?そしてどんな見立てをしているのだろうか??
 そんなある日、三郎は田圃の真ん中で裸のマネキンを抱えて歩く少女ユリオを発見する。

 …というのはやっぱり外枠で、その内側に纏い付くのは奈津川家の過去のしがらみやそれに対する三郎の整理つかない気持ち。サンディエゴから帰ってきた四郎は「やることがある」といってあまり家に寄りつきもしないし、家族もほとんどみんな入院中で動けないので、三郎はこの家で幽霊と共に寝起きしているのだ。
 三郎は、この超人奈津川家の中では比較的凡人のようで本人もそれは自覚している。勿論、美貌は兄弟全員に備わっているようで女には不自由しない。が、ちゃんと付き合うのではなく、コキュとして自分自身は何ら責任を負わない立場で立ち回っているわけだ。そして、彼はこの状態や自分の性格には嫌気がさしているがどうにもならなくそのジレンマに悶えている。
 前作の四郎に比べてみれば随分と私たちに近いためか人間くさく、情けないところも数多い。十三歳の女の子を本気で好きになったり、でもその気持ちを抑えきれなくなりそうでどぎまぎしたり、小説はもう書けないし、自分には台所の地下貯蔵庫で日がな一日膝抱えて悶々と悩むことしかできやしない。そんな三郎の葛藤の話なんである。
 相変わらず四郎は天才的に頭がいいし行動力があるし、自分はその四郎とガールフレンドのアテナを巻き込んで、その上ユリオに振り回され続けている。

 前作はただひたすら「家族愛」だったものがここでは「異性愛」に重点が置かれるようになる。異性を愛するということは自分の立ち位置をしっかりと持たなければならないということで、そこで初めて三郎は悩み苦しむわけだ。確かに人間、「何者であるか」なんてことを考えないまま生きていくのは容易いことだが一旦「私は何者で、一体何者であろうとしているのか」なんて問うた日には、夜も眠れないことになるだろう。誰かを守るためには自分が地に足をつけていなければ不可能だし、そうしなければ愛する人を救えない。だからか、本作は非常に甘酸っぱい空気で覆われて、その中での押し問答さえもが気恥ずかしい気がしてならない。

 でもって、ミステリ小説であれば誰でも求めるであろうカタルシスが無いことは、作中、作家である三郎自身が何度もその概念に言及していることで何となく察しはつくけど、これはもう、度肝抜かれるよ。前作もその気配はあったけれど、もっと体裁としては「ミステリ」してる。しかし、この作品ではミステリのガジェットを使って使って使いまくって、結局しまいに残るのは「結局愛だろ」ってな具合で、なんだか魂抜かれた気分になってしまった。前作のオーラもがんがん出てたけど、「でも二作目は無難に切り抜けようとするんじゃないの」なんていう穿った見方は木っ端みじんに打ち砕かれる。

 何というか、この作家は「三島由紀夫賞」候補としてミステリ読者以外からも注目を集めたわけだけれど、実はそのジャンル小説と見られているこの連作の方がずっと、よっぽど「文学」しているし、あくも強い。私は暴力もスプラッタもホラーも嫌いだけれど、この人の盛り込むそれらのガジェットは全く気にならない。そのすべてにユーモアがあり悲しみがある。そのアンビバレンツな感情が拮抗している間は、この作家は注目に値すると思う。~
 まさか、ここで奈津川ファミリーサーガを終わらせるなんてことは無いだろう。次を期待してるよ。