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「ネメシス/S.T.X」ASIN:B00008702Y

nijimu2003-04-29

 スタートレック ネクストジェネレーションの最終章。思えば、このピカード船長(パトリック・スチュアート)に出会わなければ、これほどスタートレックに親しみを感じることは無かったかも知れない。彼が禿頭ということは、キャストを決める際もかなりもめたことらしい(と、「ネクストジェネレーション」のDVDのおまけインタビューで知った)。しかし、この見た目のインパクトに負けないキャラクターでここまで引っ張ってきてくれた。その頭が枯れた男を匂わすが、じつは思い切り色男。しかも、物語中よく誘拐される。もう、この誘拐というアイテムは話の発端に必ず出てくるような状態にもなっていて、今回もまたこれが繰り返された…ように見えたが、さすがにいつもの繰り返しにはならなかった(笑)。良かったー。

 もう、このシリーズは何度も何度も見ているので、キャストへの思い入れも強い。ピカードをはじめとした他のキャストももう新しい作品では見られないのかと思うと寂しさが募る。

 ピカードの右腕、ライカー副長の結婚式から物語は始まる。お相手は同じ船のクルーでベタゾイド人のディアナ。ここでほぼお馴染みのオールキャストが顔を揃え、印象的な会話を交わす。私は全然気が付かなかったのだが、ここにウェスリーもいたらしい。まあ、勿論これらは従来のファンへのサービスと共に、この映画を単体で見に来ている人たちへのイントロダクションでもあるのだろう。結婚式だというのにメインのクルーが全員、主役の横に並んでいるのも妙な感じだと思うのだけれど。

 この作品のピカードは、いつもよりも若々しく感じる。小型宇宙船やジープを荒々しく運転し、それを楽しんでいる。この、探索船から飛び出すジープの場面がやけに爽快感を感じさせる。その横でほほえむアンドロイドのデータ(ブレント・スパイナー)とウォーフ。妙な放射線を出すものをコララス3号星から収集したところ、それはデータとそっくりのバラバラの四肢だった。勿論、データはスーン博士が作り出したアンドロイドなので、似たような存在はいくらかいる。以前にも彼の「兄」が出てきたこともある。同じ博士の手で作られたものだ、バージョンが違えど見た目が似ている存在は複数いるのだ。因みに、最後に見つかるのが頭部なのだが、四肢をトランクに投げ入れ、頭部だけを抱えて同じ顔で喋る図というのは、かなり気持ち悪い。

 まあ、データの「そっくりさん」は導入編で、本編がある。いわば、二組の「そっくりさん」がこの映画の中で自らの存在を巡って葛藤をすることになるのだ。それは、陰と陽の存在。陰は常に陽の影に隠れ、自らの存在を消し去られていることになる。実は人間(データはアンドロイドだが)だけではなく、ロミュラン帝国に支配されている「レムス」という星とその民族もまた、同じような二項対立的な存在になるのだ。そして、そのクーデターを指揮した禿頭の青年の存在は……。

 この映画を通じて、人間という存在、オリジナルという存在などについてがテーマになっているのだと思う。データは言う。「私は、向上心というものを持っていますが、神経回路が単純なb-4*1(データのそっくりさん)はそれを理解できません。私は、私でしかあり得ません(意訳)」と。そしてまた、たゆまぬ向上心を持つ存在こそが人間であると言う*2。たとえDNAのレベルまで同じ存在だとしても、それぞれの存在は別の存在であり続けるのだ、というのだ。唯一無二なる自己こそが自分が生きている意味である──確かに、そういうことなのだろうなあ、我々が今存在しているのも。

 そう考えると、「影の存在だ」という考えに囚われている方こそ、その考えに自縄自縛状態になり、自由な存在となり得ない。その悲しさこそが、この物語を誕生させたのだと思う。

 思い出すままに書いたので支離滅裂でバランスの悪い文章だと思うが、とりあえず、最初の感動のあるうちに書いておこうと思った。後で修正する可能性は大あり。この映画、スタートレックファンじゃないとしても案外「見られる」作品だと思う。アクションシーンも結構激しく、映像もダイナミックだ。作品のテーマも、この作品だけで十分に読みとれるものだと思う。

 ただ思うのは、従来通りのキャスティングにしてしまった分、メインキャラに若者が全然いなかったというバランスの悪さ。これが当たり前の人たちにとってはどうって事無かっただろうけど、出演している中で唯一の若者は、敵の大将だもんなあ。実際、ピカードなんて彼に「じいさん、動きが遅いんだよ!」なんて言われちゃってるし。

 それにしても、ピカードとデータの友情ときたら!うううっ。伏線もまあまあきれいに生かせてて良かったよ。でも、もう映像で次は無いと思っても好きなキャラクターが映画の後にどうなるかというのは気になるものですね。

 それと、キャストの「寄る年波」が…。ピカードは老け役だからいいとしても、データのしわしわぶりとか(アンドロイドなのに何でこんな皺だらけに作る必要が…)、美しいビバリーの変貌とか、ラフォージのバイザー無しの状態のいまいちキャラの立たない情けなさとか色々と。後10歳みんな若かったらもっと生き生きした映像になったんだと思うのだけれど、これまでの積み重ねがあるからこその最終章だったとも思うし。…でも、最後はデータとピカード、逆の方がより良かったと思うんだけどなあ…。

 テレビシリーズは「ながら見」のため、映画とはだいぶ印象が違うのかも知れない。でも、テレビでは気付かなくてちょっと見入ってしまったのは、エンタープライズ号のデッキでの、クルーのフォーメーション。誰かが持ち場を離れたら、それをフォローする誰かが必ずその席に座り、代行する。それがあまりにもスラスラと行われていたので、こういうところにチームワークなんかを見ちゃって、感動したのでしたよ。

 因みに夫は今回もまた爆睡のため、最初と最後しか記憶に残らず。誰のために見に行ったんだか分からないよ、これじゃ…。彼は薬のせいだと言い張っているので、今度薬を飲まない状態でレイトショーを見るつもりだそうだ。しかし、あの話の真ん中を知らなかったら、全然見たことにならないよなあ(笑)。

*1:"before"と掛けてあるらしい

*2:そういう意味でも、データは人間により近い存在である