MJ

「ルールズ・オブ・アトラクション」

nijimu2003-12-12

 1980年代のカムデン大学(架空の名称だが、東海岸にある、金持ちの子息が通うようなアートカレッジ)を舞台にした青春群像劇である。セックスとドラッグが蔓延したキャンパスではある日「この世の終わり祭」というパーティが複数日に亘り開催される。そこで起こった色々なことが、まずは結果から見せられる。ああ、なんでこんな事になっちゃったんだろう、ああ、あのときああしていれば、ああしていなければ…と、後悔したことは誰にだってあるだろう。そんな気持ちそのままに、フィルムはキュルキュルと過去に戻るのだった。

 それぞれの心が擦れ違い、時には勘違いがそのままになった状態でみんなの「想い」は空回りしている。物語の中心的存在であるローレンはコケティッシュな女の子(と言っていいだろう)。こんなただれた学生生活の中でも、処女を守っている珍しい存在だ(…の割にはアレが得意だったりして、よく分からない…)。彼女は同じ大学のヴィクターに憧れ彼に処女を捧げたいと夢見るが、当のヴィクターはヨーロッパ漫遊紀行で各地で行きずりの持つ(これが凄まじい勢いのフィルムで表現されている)ような、いい加減な男。そんなローレンの純粋さに恋いこがれるショーンは、ピュアな気持ちを持ちながらも(?)始終女の子のおしりを追っかけ回すヤクの売人。彼を今夜の共にしようとモーションを掛けるのは、ゲイのポール…とまあ、よくもまあここまで、の話ではある。

 ショーンは、毎日のように熱烈な愛の告白を綴った紫の手紙を貰っている。その色はローレンの部屋のドアに貼ってあるものとよく似ていて、てっきり彼女が手紙の主だと勘違いしている。だったらとっとと決めてしまえばいいのに、享楽的なところにうつつを抜かしている辺りなど、あまりにもアホ過ぎる行動が痛々しい。なんというか、彼の「気持ちいい」時の顔が、ねえ、間抜けで天真爛漫で、こんなんでいいのかと考え込んでしまうよ。まあ、ポールは彼のそんなところが好きなんだけどね。

 時間をフィルムに見立てて巻き戻したり、空から降ってきた雪が頬に落ち、それが涙となるところとか、いくつか印象的な場面はあるのだけれど、うーん、これって遅くても90年代に見る映画だったかな、という感じはする。パンフレットをぱらぱらっと見たのだけれど、原作のブレット・イーストン・エリスはこの小説を酷評されたそうで「アメリカ人には自分たちを見せつけられ平静でいられる度量がない」と怒っているようだが、小説の方はどうなのかなあ?…というわけで、読んでみるつもり(既に買ってあるけどね)。

 ただ、役者は結構個性的で魅力がある。ちょっと見た感じではショーンのキュウリみたいに長い顔とかローレンの猿っぽい容姿が気になるのだけれど、見ている内にそれが魅力になってくるし、ポールやその友人(であり、初めての男?)のディックはかなーりいい。ディックなど、そのアホっぽさでさえも魅力になってきそうだ。

 「ブルークラッシュ」で元気な女の子を演じたケイト・ボスワースが、かわいくて頭の空っぽな尻軽女を演じていたのがかなーりショックだったけど、でも…合ってたかも。

 話としては、『レス・ザン・ゼロ』が黒、こっちが白って感じかな。と言っても全然Happyじゃないんだけど。あれは非日常を扱っていたけど、こっちは日常。日常がこれなんかい、とツッコミを入れたくなってしまうが。深刻なところをそっくり削り取ってみました、という感じなので、これを見て『レス・ザン・ゼロ』を見てみよう、という気を起こさない方が幸せかも知れない。

→公式サイトhttp://www.rules-jp.com/