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ジャネット・ウィンターソン『オレンジだけが果物じゃない』ISBN:4336039623

 狂信的な母に引き取られた少女ジャネット。その価値観の中で生きてきたのが学校でそれが中心じゃないということを嫌というほど思い知らされ、その世界からつまはじきにされる。しかし、安住の地であった信仰の世界でもまた、彼女は異端者にならざるを得なかった。
 自伝ともいえる処女作。旧約聖書に模した章立てや、所々に入り、最後の章では挿入か本筋か分からなくなるほどの切実さを持った物語の数々。「ヒストリー」と「ストーリー」。「ここは自分のいるところではない」と悟った彼女の、葛藤の半生。

 よく「育ててもらった恩も忘れて」という嘆きの言葉が子供の非行(社会的観点から観て)発覚の際に出てくるけれど、これが無効であるというのがひしひしと伝わる。ジャネット自身、世間一般の娘以上に親(特に母親)の価値観を鵜呑みし信仰を深めるのだが、拒絶された状態といっても一応学校で外の世界を見、ある程度成長して自分自身でモノを考えるようになったらやはり、親の言いなりとはいかないんだよなあ。子供だって親を悲しませようとは思わない。でも、その人が生まれたからにはその人なりの生き方があり、それを選んで生きていくというのは避けられないことなのではないか。

 急進的な信仰の描写や宗教がすべての家庭での様子、村との微妙な空気の差、そして彼女自身の気持ち。これらが非常に客観的に冷静に描かれていることに驚く。だからこそ「自伝的要素が強い」作品であっても自伝小説特有の自家撞着を感じさせない。ところどころにファンタジーっぽい物語が挿入されているが、これが出てくる直前のジャネットはいつも現実世界で辛い目にあってやりきれなくなっているとき。自分の、生々しい心情をストレートに出さずに加工するこの技術とセンスには舌を巻いた。全体の描写も、淡々としていながらどこかユーモラスで、悲壮感はあまり無い。

 ひとつストレートに信じてしまうと人というのはそれでいっぱいになり、他のものを受け入れられなくなる。それが「オレンジだけが果物だ」と言っていた過去の母なのだろう。そしてまた、この小説のラスト近くで彼女は「オレンジだけが食べ物ではない」とは言うが、それは別にオレンジ以外の果物の存在を無条件に認めたわけではないのだろう。それが証拠に、勘当されたジャネットが帰郷した際に彼女が見た母の姿は、表面は様変わりしているものの、中身は全く変わっていないというものだった。母自身がもしかしたら「皮の固いオレンジ」だったのかも知れない。
 しかし、時の流れが確実にこの二人の関係を柔らかくしたのだろう。ジャネットが母を見る目は半ば諦めの気持ちがありながらも優しく、また、母も娘のすべてを受け入れた訳ではないものの、頑なな拒絶の態度は無くなっている。

 冒頭ジャネットは「たいていの人がそうであるように、わたしもまた長い年月を父と母とともに過ごした。」と始める。しかし、その父と母の姿は我々が知っているそれとは違っている。「父は格闘技を観るのが好きで、母は格闘するのが好きだった」。
 この文章のユーモラスさ。この一行を読んで、この本を読むことを決めた。