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ジュリアン・バーンズ『10 1/2章で書かれた世界の歴史』ISBN:456007108X

 いやー、面白かった。10章+1章がそれぞれ短編として読んでも楽しかったし、それがまたどこかで何かにつながっているという感覚もまたわくわくした。いろいろな形で「小説」を楽しませて貰ったし、ほんのちょっと知識も付いたようなお得感もある。多分、短編小説が駄目な人は合わないのだろうけれど、そうでなければただ短編集を読むのとはまた違った楽しみがあると思う。聖書のパロディあり、パスティーシュあり、エッセイ風あり、論文風あり、裁判記録風あり、いろいろなパターンが提示されていて、「さて、今度の章はどの手でくるのだろう」と挑む気分がまた楽しめる。確かに、高橋源一郎が言うとおり、面白い純文学小説だったよ。もっといろんなパターンが読みたいと思うのは、『アインシュタインの夢』にも感じたことと似てるかも知れない。特に、挿入章を読み終わった後のラスト二章は気持ちが駆け足状態で、ページをめくるのが楽しくてならなかった。

 九章でスパイクが発見した洞穴のアレは、多分少し前の章に登場するアレなんだろう。そうやって歴史的(時間的・事象的)に関連づけられるものがあれば、ところどころに顔を出すキクイムシや繰り返し形を変えて出てくる「舟」というモティーフなどなど、その中では特に説明は無いけれど読む側で勝手に結びつけたり連想したりすることは数多い。そういうものを張り巡らしていく面白さもあり、これがこの本でバーンズが言う「歴史」になるのかなあ、とも思う。昨日も引用した部分がその核となっているはずだ。

しかし歴史とはつねに、ラクダの毛の絵筆よりむしろペンキ屋のローラーによって絵の具が塗りつけられる、マルチメディアのコラージュの方に似てるのだ。
 世界の歴史? 暗闇のなかで反響するいくつかの声、数世紀にわたって燃えつづけ、やがて消えていくいくつかのイメージにすぎない。物語、それはときどき重なりあうように見えるいくつかの昔話にすぎない。(中略)理解あるいは容認できない事実を処理するために物語を作り上げる。二、三のほんとうの事実を残しておいて、そのまわりに新しい物語をつむぐ。われわれの恐怖、われわれの苦痛は慰安を与える作り話によってのみ軽減される。われわれはそれを歴史と呼ぶ。(p.301〜302「挿入章」より)

 十章の「夢」を読んでいると、いろいろなことを考えてしまう。果たして、人間にとっての理想って何なのだろうか。永遠の命というのものは、本当に得られれば幸せなのだろうか。際限ない時間と際限ない権利と有限の事象。そう考えると、自分たちは命が有限ということを知っているからこそこの人生を楽しんでいるのであり、その、歴史の中で言えば本の一瞬に過ぎないこの時を不自由ながらも精一杯生きるという自分で予め持っている「可能性」のみで十分に幸せなのかも知れない、と思う。~
 有限と有限がどこかでひも付けされて歴史というものができる。それを、もっと後の世の中から俯瞰して見る。見方は、その人により、その民族により、その思想により全く変わってくるだろうが、それは全て「歴史」なのだ。歴史はある側面では時間という証言を得た記録であり、そしてまた、それらをその観点なりに繋ぎ合わせれば「物語」というものができあがる。だからこそ、人間(とは限らないが)はひとりひとり別個の生き物である意味があるのだろう。

 自分と他人とは違う存在だということを認められれば、世の中はちょっとは変わるのかも知れないね。