MJ

阿部和重『シンセミア』ASIN:402257870X / ASIN:4022578718

nijimu2003-11-03

 休暇中に一気に読了。決して読んでいて気持ちいい話ではないので下巻に移るのが辛かったのだけれど、物語の牽引力は十分にあります。

 山形の果樹農家地帯の神町。かつては空軍や進駐軍が、そして今は航空自衛隊の駐屯地が大きく陣取っていて、そこの家族が大口の顧客にもなっている。閉鎖的な町の中で生計を立て、一日の殆どを送る社会として形成されているため、人間の密着度がかなり濃く、そこから外れることは暗黙の了解で許されていない。それは承知しつつも彼らのエスカレートに耐えられなかった「パンの田宮」二代目と三代目は、それぞれ共犯関係にあるグループからの足抜けを宣言する。それが、パンドラの筺を開くことになるのだ…。

 2000年夏、異常気象の中、教員の自殺や老農夫の失踪が立て続けに起き、幽霊や超常現象が散見されるようになる。そこからいい加減な噂がたちどころに広まる様は、小さな共同体故の弊害といえるだろう。そんな閉塞状態が続く中で、神町の大部分は洪水により甚大な被害に見舞われる。この水が全てを洗い流してくれる期待は果たされず、人々の鬱憤は、やがてはひとつの家族を、スケープゴートとすることで多少、晴らされることになる。そうして、そのような事件がかつてもあったことが本屋の主人によって語られ……。

 共同体というものは、共犯意識により結束を固めることもある。だからこそ町の平和は守られているのだし、その結束からこぼれ落ちたものに対する攻撃は容赦なく、そこでもまた「共同体」故の結束の固さが功を奏する。つまりは、のけ者は一生のけ者であり、末代に渡るまでそれは続くということだ。
 そこでは、社会が変わらぬ限り、いつか歴史は繰り返される。

 ここでも阿部節、そしてたわいない事と事とを意外なところで繋いでいく手腕は健在だ。しかし、長編になった分エネルギーは拡散し、中編では魅力だった終盤に向かってひた走る爆発力が、ここでは呆気なさに繋がっているように思う。この小説、なんと最後の夜には10人も死ぬのだが、その死はあまりにも呆気なくて気が抜けた。

 そして、様々な悪事が露呈する寸前だった時にそれらは起こったことが真実の露呈を、期待していた結末からああいう風に変えてしまうとは!何とも皮肉な結末だったと思う。人の命は賭けても正義が勝つとは限らないということか。もしかしたら、そんな薄っぺらい正義感はあってもろくなものではないということだろうか。

 タイトルの「シンセミア」とは、どうやら麻薬の一種らしい。一見木訥とした神町にも、確実に麻薬は巣くっている。ここでこの名前にした理由がいまいち分かっていないのだけれど、麻薬に犯されたようになる人間の心理状態を表しているのだろうか?

 表紙は、中身とは見まごうほどにキラキラと美しいが、陰りのない美しさというのは、普通の神経では感受することができないものかも知れない。