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「『ソーネチカ』をめぐって」リュドミラ・ウリツカヤさん来日記念 対談と朗読の夕べ

…に参加してきました。ウリツカヤ氏は想像していたのと違って小柄でしたが短く刈り上げた頭髪が潔く、また美しかったです。含蓄あるお話も伺えて、寒い中足を運んだのは正解でした。

 まだ中身は入ってないですが、当日の模様を微力ではありますがレポートにするつもりです。下のリンク先にありますので、興味のある方は(暫く経ってから)お越し下さい。

参加レポート

リュドミラ・ウリツカヤ『ソーネチカ』(ASIN:4105900331)

『ソーネチカ』

 平凡な女性の非凡な一生。その一言に尽きるだろう。芸術の才能を持つ夫に尽くす人生は、確かに現代に生きる私たちには受け入れがたいものがあるけれども、こういった、一見「与えるばかりの人生」というのもアリなのだろうなあ、と感じた。容貌のパッとしないソーネチカは、才能ある夫に求められて愛情に満ちた結婚生活を送り一粒種までもうけることができたのが、望外の幸せだったのではないか。彼女にとっては多分、「おまけ」の幸せだった。だからこそ、夫や子どもが負わない日常的な些事をすべて請け負って、何も考えずに甲斐甲斐しく働くことを好んで選んだのだ。

 こういった「無償の愛」は、我々には理解しがたいものがあるが、もしかしたらキリスト教の教えであれば十分に説明がつくことなのかも知れない。著者のウリツカヤ氏は講演の中で「キリスト教を素養とする文化に育った人の作品は、そこから理解できないと作品が分からないかも知れない」と語ったが、まさにそういった事なのかも知れない。その他にも、ロシア特有の風俗が多数あって、名前の呼び方を始めとして、なかなか慣れる事ができない。それだけに訳者による解説は嬉しかったかも。

 本の虫だった女性が一人の男性に見初められて彼との愛に生き、晩年、また本の世界に帰って行く。淡々とした彼女の人生なのだが、どうしてなのか洋なし型の眼鏡をかけて本を読む彼女の姿を文章から思い浮かべたときに突然、涙が出てきて困ってしまった。多分、彼女のどこかを自分と重ねていて、自分の老いた姿を見ているのかも知れない。

2003年 年間ベスト本

 どうしようかと悩んでいたのですが、ひとまず出してみました。去年読んだ中から選んだ10冊。読んだ順番で、順位付けではありません。

この中でもジュリアン・バーンズとジャネット・ウィンターソンは別の作品も読んでいて、それとどちらにしようかかなり悩みました。また、『めぐりあう時間たち』はやはり本歌どりしたものなのでその元ネタも、ということで、『ダロウェイ夫人』を抱き合わせで。阿部和重の待望の作品は、切れのいい神町サーガの短編もセットです。やっぱり、この人の短編が好きだなあ。そして、『ウェブログ・ハンドブック』は、ウェブサイトを公開してから8年目、ということで、ウェブログに限らず、ウェブサイトでなにがしか書いていくことの再確認になったので、やはりはずせないと思いました。

えーと、今年も面白い本に会えるかな。

因みに今読んでいるのはいきなりボリュームのある『ザ・フィフティーズ』(デイヴィッド・ハルバースタム著)なのですが、これが面白いんですよ!アメリカの50年代を描いたものなのですが、やはり歴史というのは人間が主役なんだな、と感じています。
これを読み始めたのは、去年アン・タイラーを始めとした、アメリカの50年代、60年代を描いた作品(もしくはそういったものがベースとなる作品)を複数読んで気になっていたからなのです。

引き続き、2003年に観た映画(DVDも含む)のベスト5でも決めようかと思います。って、私は映画を観る習慣ができたのがここ最近なので、大して観てないし皆さんのような脳内データベースが全くないんですけどね。

「アイデン&ティティ」

nijimu2003-12-20

途中までは「原作そのままや」と思ったけど、そこからずずーんと良くなった。80%は主役のキャスティングで成功しているよなあ。悩める青年ぶりがとってもよく表現されていた。彼自身、この春にバンド解散したばかりなんだとか。~
「第三の男」として大森南朋がかなりいい感じ。この人、「ヴァイブレータ」でも相手役で出てるんだよね。最近、売れてるのかな? 脇役陣はかなりすごくて、三上寛とか、焼鳥屋のおやじ役が大はまり。彼の店に行ってみたくなった(笑)。
ああいうアレンジにしたのは監督なのか脚本家なのか分からないけど、うまくストーリーとして纏めていたよなあ。

待っている間に丁度この話の中に収まる話は読み終えてたんだけど、そこの青さが違う形で表現されている。しかも、時代としては原作は90年代だけれど映画では一見分かりにくいように演出されていて、そこが普遍性を感じさせていいなあ、と思った。何たって、携帯電話が出てこない。

日舞台挨拶があったのだけれど、みうらじゅんとマギーとで「今日は谷とヤワラの結婚式なんですよね」なんてネタを振っていて、これはみうらじゅんのラジオの通りだったので笑ってしまった。「谷選手の真実」というドキュメンタリーを見てみたい(笑)、と。その結婚式中継よりこちらを選んでくれた皆さんのセンスは最高(だったかな?)という話に、会場爆笑。大入り満員ぶりに非常に感動していたようです。同じ原作付きの映像化、ということで「ルールズ・オブ・アトラクション」を思い出したけど、映画をよく知らない私からしてみれば、こちらの方がよほど原作のスピリットを大事にしていたと思いますよ。
ちゃんとした感想は後日。

それにしても

はてなダイアリーといえばキーワードの共有化を図ることで全然知らなかった「どこか」と繋がる面白さが私にとっての醍醐味だというのに、「新潮」というキーワードで辿っても、阿部和重の「馬小屋の乙女」のレビューがあるところは全然無いですね。googleで検索しても出てくるのは新潮社の情報と私のサイトくらいなものなので、まあ、仕方ないといえば無いのですが。
「新潮」のはてなキーワードで引っ掛かるのは、舞城王太郎佐藤友哉タンばっかりで、私は寂しいですヨ。

とはいえ、阿部和重シンセミア』がここまで話題になるのもびっくり。確かに凄かったけど、この人の「傑作」では無いと思うんだけどなあ。絶対、もっと凄いの書くと思ってるので、これごときで満足しちゃいかん、と読了後感じた訳ですが。

阿部和重「馬小屋の乙女」

 えーと、『シンセミア』に続き、神町サーガを書きつづっていく、と考えていいのだろうか。

 トーマス井口なる男が、東京で店の客から「ここにならある」という情報を聞いて、わざわざ神町までやってきた。というより、天童駅で降りるつもりが寝過ごしてしまったのだ。この男、何しに来たかというと、古物商のところにあるという「89年型しびれふぐ」を買いに来たのだ。彼は、熱心な性具コレクターなのである。

 この名前からしてふざけている。その旅の動機もふざけてる。そしてまた、全体を覆う真面目に間抜けな雰囲気はまさしく阿部節。この寂れた店で、奇妙な二人組に出会うのだが、そこから奇妙な異世界に連れて行かれる。といってもSFではない。本当に訳の分からない展開になるのだ。

 えーと、このタイトルはどういう意味なのでしょうか(笑)。『シンセミア』単行本の表紙のような純真無垢(に見える)少女でも出てくるのかと思えば、ここで出てくる女性といえば、駅前でたむろってる制服姿の女子高生と古物商のところで出会ったよぼよぼの老婆のみ。

 ひとまず、年の初めということで、何かの可能性を感じさせる作品といっていいのでしょう。これからも、一見B級の不気味な作品を書き続けてくれることを願ってます。もっと凄いのを期待してますから。

  • 掲載:「新潮」2004年1月号 p.62〜68

「ルールズ・オブ・アトラクション」

nijimu2003-12-12

 1980年代のカムデン大学(架空の名称だが、東海岸にある、金持ちの子息が通うようなアートカレッジ)を舞台にした青春群像劇である。セックスとドラッグが蔓延したキャンパスではある日「この世の終わり祭」というパーティが複数日に亘り開催される。そこで起こった色々なことが、まずは結果から見せられる。ああ、なんでこんな事になっちゃったんだろう、ああ、あのときああしていれば、ああしていなければ…と、後悔したことは誰にだってあるだろう。そんな気持ちそのままに、フィルムはキュルキュルと過去に戻るのだった。

 それぞれの心が擦れ違い、時には勘違いがそのままになった状態でみんなの「想い」は空回りしている。物語の中心的存在であるローレンはコケティッシュな女の子(と言っていいだろう)。こんなただれた学生生活の中でも、処女を守っている珍しい存在だ(…の割にはアレが得意だったりして、よく分からない…)。彼女は同じ大学のヴィクターに憧れ彼に処女を捧げたいと夢見るが、当のヴィクターはヨーロッパ漫遊紀行で各地で行きずりの持つ(これが凄まじい勢いのフィルムで表現されている)ような、いい加減な男。そんなローレンの純粋さに恋いこがれるショーンは、ピュアな気持ちを持ちながらも(?)始終女の子のおしりを追っかけ回すヤクの売人。彼を今夜の共にしようとモーションを掛けるのは、ゲイのポール…とまあ、よくもまあここまで、の話ではある。

 ショーンは、毎日のように熱烈な愛の告白を綴った紫の手紙を貰っている。その色はローレンの部屋のドアに貼ってあるものとよく似ていて、てっきり彼女が手紙の主だと勘違いしている。だったらとっとと決めてしまえばいいのに、享楽的なところにうつつを抜かしている辺りなど、あまりにもアホ過ぎる行動が痛々しい。なんというか、彼の「気持ちいい」時の顔が、ねえ、間抜けで天真爛漫で、こんなんでいいのかと考え込んでしまうよ。まあ、ポールは彼のそんなところが好きなんだけどね。

 時間をフィルムに見立てて巻き戻したり、空から降ってきた雪が頬に落ち、それが涙となるところとか、いくつか印象的な場面はあるのだけれど、うーん、これって遅くても90年代に見る映画だったかな、という感じはする。パンフレットをぱらぱらっと見たのだけれど、原作のブレット・イーストン・エリスはこの小説を酷評されたそうで「アメリカ人には自分たちを見せつけられ平静でいられる度量がない」と怒っているようだが、小説の方はどうなのかなあ?…というわけで、読んでみるつもり(既に買ってあるけどね)。

 ただ、役者は結構個性的で魅力がある。ちょっと見た感じではショーンのキュウリみたいに長い顔とかローレンの猿っぽい容姿が気になるのだけれど、見ている内にそれが魅力になってくるし、ポールやその友人(であり、初めての男?)のディックはかなーりいい。ディックなど、そのアホっぽさでさえも魅力になってきそうだ。

 「ブルークラッシュ」で元気な女の子を演じたケイト・ボスワースが、かわいくて頭の空っぽな尻軽女を演じていたのがかなーりショックだったけど、でも…合ってたかも。

 話としては、『レス・ザン・ゼロ』が黒、こっちが白って感じかな。と言っても全然Happyじゃないんだけど。あれは非日常を扱っていたけど、こっちは日常。日常がこれなんかい、とツッコミを入れたくなってしまうが。深刻なところをそっくり削り取ってみました、という感じなので、これを見て『レス・ザン・ゼロ』を見てみよう、という気を起こさない方が幸せかも知れない。

→公式サイトhttp://www.rules-jp.com/